Miyazaki & Moebius〜宮崎とメビウス〜



フランスのアーティスト、 メビウスは宮崎アニメ(と漫画)のファンとしてよく知られており、宮崎監督と対談したりナウシカのイラストを描いたりしています。2002年の8月には、メビウスは娘のナウシカ(!)と共にジブリ美術館を訪問しました。また、宮崎監督もメビウスのアートの影響を受けていると言明しています。

1992年に出版された「紅の豚ガイドブック」の中で、メビウスは宮崎監督を「もっとも輝かしい火」と呼び、賛辞を寄せています。

また、製作中の長編アニメーションに関するインタビューの中で、メビウスは宮崎監督に言及しています。資金も人手も足りない中でイマジネーションを広げることにより革新的な作品を作りたい、と述べた後で、「メビウスとフォスター(プロデューサー)はこのバランスを完璧に取っている例として、日本のアニメマスター、宮崎駿と大友克洋の名前を挙げている。(中略)『私の理想は通常のアニメーションであれ、CGアニメーションであれ、モンスターも、飛んでくる物体も、特撮もない、通常の生活を送っている人間に焦点を当てた、より親密な映画を作ることだ。宮崎は彼のアニメーションでこれをやった』」としています。

メビウスについては、「メビウス・ラビリンス」さんにより詳しい情報があります。こちらのサイトでは宮崎監督とメビウスのかかわりについての情報もとても多く、新しい情報が次々と入っています。

宮崎・メビウス展

2004年11月15日から2005年3月9日まで、フランスで宮崎監督とメビウスに関する博覧会が開かれています。(追記:好評につき4月17日まで会期延長になりました)

フランスのアニメ雑誌、Animelandは、宮崎・メビウス展の開催に際して開かれた記者会見と展覧会のレポを掲載しました。(翻訳byおーたさん)

宮崎メビウス:キックオフ

300以上の絵を一望し、日本人宮崎(トトロ、もののけ、千尋、、)とフランス人メビウス(ブルーベリー、ランカル、、、)の世界が対面する。来年3月13日までパリ造幣局でのお勧めはこれだ。


テーマ展示

この二人の作家がのびやかに表現する共通の軸を中心に部屋はテーマ分けされている(歩むこと、豊穣の大地、空中の部屋、見えない世界、架空の生物、形状をなぞった精巧な下絵)。「宮崎ロビー」と「メビウス・ギャラリー」を行ったり来たりしながら、「千尋」から引用された悲痛なカオナシのストーリーボードだとか、キキの顔の下絵だとか、「リトル・ネモ」の翻案アニメ(80年代半ばに7年かかった息切れしたプロジェクトでメビウスの協力と宮崎の挫折で知られている)のデッサンだとか、感動的な鉛筆書きの作品や、二人の作家の仕事論についてのビデオを見ることができる。
二人の作品を過ぎてゆく軽やかなコースは、飛ぶ機械についての幻惑(アルザックやそれに向かい合ったラピュタを見よ)もあれば、自然や平行世界の表現もある。

なぜ、二人の作家を組み合わせたのか?精神的なつながりや、趣味やテーマが一致しているということもあるが、『動く城』のフランス公開1ヶ月前に際して「宮崎を完全な芸術家として紹介する」という意図も欠かせないだろう。それは展覧会の委員を務めるフランソワ・カミリエリが提示したことである。

11月29日朝、このイベントの主要人物達、ジャン=フランソワ・カミリエリ(ブエナ・ビスタ・インターナショナル:フランスでのジブリ映画配給会社)、ジャン・ジロー(メビウス)、連れ合いのイサベル・ジロー(スターダム・プロダクション)、そしてスタジオジブリ代表の鈴木敏夫、が我々にそうしたことを話してくれた。宮崎駿はどうかというと、時差ボケを理由に欠席した。


メビウスが宮崎に出会ったとき

展覧会がこの日を迎えたのはBVI(ブエナ・ビスタ・インターナショナル)とジャン=ジャック・ロニエ(「都会伝説」大友展覧会を見よ)とイサベル・ジロー(スターダム・プロダクション)が仕組んだところが大きい。宮崎とメビウスは以前から出会い、互いに評価し合っている。

二人の最初のコンタクトは80年代に遡るとメビウスは回想した。「私は当時ロサンジェルスに住んでいた。私の息子が10歳の頃でフランス系アメリカ人の学校に通っていた。彼はそこでマンガの熱狂的なグループに出合ったのだけど、日本からの海賊版ビデオカセットが流通していたんだ。タイトルも貼っていない一本のカセットに私はとりわけ注目した。それが他ならない『ナウシカ』だったんだ。印象深く、私は宮崎の才能の虜になった。しかし、彼は難解で人に知られざる作家に留まると私は考えた。それから、彼の才能は時と共に映し出されて行き、私は彼の仕事(ラピュタ、キキ、トトロ、、、)を辿って行った。眩いばかりだった。それぞれの映画は質の点で他を圧倒し、すべてが同じテーマに忠実だった。」メビウスも宮崎作品のファンになり、最初の娘にナウシカと名づける程だった!「いいセンだった思う。彼女は本当に宮崎のヒロインそっくりだったからね。」

そして宮崎は?「彼は今回映画のプロモーションのために外国には行かないと決めていました。でも、メビウスと彼を繋ぐ今回の招待はさすがに断れなかったのです」と鈴木敏夫は説明した。このスタジオジブリの代表はこうも言明した。「感動しています。なぜなら宮崎の作品自体で展覧会が行われるのは初めてのことだからです。彼は内気な男ですから自分の名前のついた展覧会というものを想像するだけで困惑してます。」

絵画芸術として長編マンガを認知させる戦いは、しかしながらいまだにフランスでもまったく実っていないと、スターダム・プロダクションで働いているイサベル・ジローは説明する。「スペインやドイツからの申し入れは来ていますがアングレームとフォンダシオン・カルティエを除いてフランスからは来ていません。申し入れが無いのです。長編マンガに対して故意に口をつぐんでいるのです。今、私はもっともっと野心的な展示会を考えたいし、長編マンガ、映画、ビデオゲーム用のプラスティック・アートを受け入れる常設展示の場所を見つけたい。」


一致する魂

さしあたっては、名声あるパリ造幣局での今回の展示会を愉しもう。冒頭で述べたような二人の芸術家に共通するテーマの扱いに対してメビウスは尽きることなく語った。「宮崎は自然そのものも扱えば、超自然的なものも扱います。トトロやもののけのような優れた映画の中では場所に居ついている精霊達が人間から招聘されたり邪魔されたりして顔を出します。日本では伝統と現代の間のチャネルが保持されているのです。私自身もそうしたテーマを扱ってみようとしましたが、私には文化的なそうした知識がありませんでした。私にとって、宮崎と高畑とは同じ思想の二通りの表現なのです。「ぽんぽこ」のような映画は人と自然の関係についてのこの上ない映画と考えています。」

最後に鈴木敏夫がこれらのテーマの社会文化的起源を指摘した。「日本人にとって自然や精霊との関係は伝統の一部分です。しかし工業化と共に自然との関係は鈍化しています。ハイジのシリーズで宮崎と高畑が望んだのは、新しい二つの目で自然を見る機会を子供達に与えることでした。宮崎はこの世界で生きるより良いやり方を熟考しています。」これにメビウスが畳み掛けた。「教育が日本の枠を外してしまったのです。自然の力は地球規模のもので、その脆弱さもまた普遍的なのです。」

宮崎がこの展覧会について、ジャン=ジロー(メビウスの本名)の才能をどう言及するか聞きたいところだろう。この日本の映画人は生憎とVIPの窮屈な集まり(11月29日夜がオープニングセレモニーで、翌日が『動く城』の先行プレミアム上映)に参加することを控え、観客やプレスが彼と直接やりとりする機会を奪ってしまった。

その代わりに『動く城』(来年1月12日フランス公開)の会場に見に行こう。芸術家についてもっとも雄弁に語るのは作品だと言われることでもあるし。


 
宮崎/メビウス:心の結びつき:パリ造幣局でのパリ展覧会


展覧会の配置図というのは疑いも無く、展示作品と同様に重要である。眼への心地好さや、展示品のトータルな読み取りやすさが必要とされるのである。美術館の第一広間には円形のアーケドが設置され、一方にメビウス入口、片方に宮崎入口が置かれている。建物の中央にあって、二人の芸術家の絵が出会うための、接点の場所が開かれているのである。

第一広間の側廊は似たような区割りのギャラリーへと導く。C字型に作られたパネルの外側の面には宮崎の作品が飾られ、内側の面にはメビウスの作品が飾られている、、、互いの絵が共存しているのは、ひとつの大広間だけである。現れた出でた調和の中に二人の絵が並べられている。


形式的な対比

主催者の意図には何が隠されているのだろうか?なぜ、準拠する文化がかくも異なり、共通する特徴は結局のところほんの僅かしかない二人の芸術家を比較するのだろうか。

少しの間、展示されているイラストを覗き込もう。何が見えるだろうか?片方では、日本映画人が単純かつ効率的な線と構成で際立っている。驚かせようだとか、魅惑しようだとか、そういう意図とは無縁だ。彼の画風は、単純だが感覚的で、本物の感動を表現している。空中の城、泣いている少女、空に浮かぶ飛行機に、人は甘美で、少しメランコリックで、同時に少しロマンティックな感動の発露を感じとるだろう。

一方の「ブルーベリー」の作者にあっては、画の争点はまったく別のところにある。メビウスは画法へのあくなき挑戦としてそれぞれのイラストに取り組む。裂けた線、狂気の装飾、ベニスやフランス宮廷から引用された豪華な服装、驚くべきミュータント生物、、、 奔放で溢れ出る想像物への渇きを感じて彼の絵を練り上げていく。

宮崎にあっては着想がどちらかといえば植物的(森が優勢)であり、一方のメビウスはどちらかといえば鉱物的(人間構造の循環的モチーフ)ということにも気がつく。


それでも魂は結びつく

しかしながら、これらの絵を見ていると二者をならべることについて疑問は起こらなくなる。何故だろう?単純な話、対極にある様式を超えて、この二人は時折困惑するようなやり方で合流してしまうのである。服のデザイン、装飾、シーンの切り貼り、、、そうした移ろいやすいけれどリアルな瞬間に、私達を困惑させる何かが現れるのを感じ取ることができる。

この二人は同じ文化に属さず、同じ映像環境で育っていない。しかしながら彼らは技術を習得し、彼らの先輩達が設けた限界を超えてしまった。それがこの二人を再会させ、喜ばしい驚きを引き出すのである。

しかし、物事はそこで終わらない。というのは二人の仕事の中で、同じ意志が顔を見せるのである。想像物によって媒介された感情を回復させるということだ。彼らのデッサンが如何に似てようが似てなかろうが、リアリティを構築する彼らのやり方が対極にあろうが近かろうが、宮崎とメビウスは想像物への同じ情熱を表現し、我々それぞれの中に眠っている子供の心に触れるのである。彼らのイラストの中に、子供の夢に関する何かを人は見出すのである。


筆の一撃

二人の芸術家の創造物に没頭しているうちに、副次的ではあるがその重さは決して侮れない主題が出てくるだろう。注目の文化的スポット、パリのまさに心臓部、玄人衆に用意された今なお多くない数の尊敬されるべき芸術家のために用意されたこの展覧会は、稀代のポップカルチャーである長編マンガやアニメーションによってもたらされる豊かさの尺度を与えてくれるのである。それはこの二つのビッグネームの仕事によって成された大衆認知の証である。宮崎とメビウスは出自も異なり、話す言葉も違い、向き合っている観客も異なっている。それでもフランスから日本まで想像界は似たような装飾を身にまとうようである。

リンダの貴重な協力に感謝

(訳者の能力不足により、誤訳・省略・過剰説明等を含みます。低信頼性翻訳:おーた )

 

宮崎・メビウス対談

また、Animelandのサイトでは宮崎監督とメビウスの対談の様子が動画で見られます。

以下はその翻訳ですが、宮崎監督の発言は日本語ですので、そのままではなく要約してあります。正確な発言はご自分で動画を見てご確認ください。メビウスの発言はおーたさんの訳及び英訳されたものを参考にしました。おーたさん、どうもありがとうございました。

セクション1:出会い、お互いへの影響

メビウス(メ):みんな同じ時代に生きて、仕事をする訳ですから似たような様式になります。でも、私から見ると宮崎さんがどのように私の作品を知ったのか、それがすごく謎なんです。職業上の関係で知ったのかどうか…。

宮崎(宮):アルザックは確か1975年でしたか。私が出会ったのは1980年ですけど衝撃でした。日本のマンガ界全体がそうでした。私の絵はその頃には固まっていたので彼の絵をうまく自分の中に生かせなかった 。でも今でもメビウスさんの空間感覚にはほんとに魅力を感じています。明らかにナウシカはメビウスの影響で作られたものです。

メ:メビウス:ナウシカを見たときそれは思いました。影響というのはあまり関係ない、むしろ重要なのは文化を越え、時と場所を越えたインスピレーションの共通性が実際に出会う前にあったということです。人を他人と出会わせ、シンクロさせる共通性です。私が驚いたのは我々の共通性ではなく、こんなにも違いがあるのに人々が我々の間の類似性を見つけることができたということです。宮崎さんについて驚くのは、彼は会社の経営者のようなものだということです。アニメーション映画は100人、200人の人間を動かしてファンタスティックな映像を作り出す産業で、大変な力を要求されます。こんなにも長い間このように大規模なオペレーションを動かしていながら、インスピレーションの質を保っていることに驚嘆します。これは私にとってはまったく信じられないことで、とても尊敬します。私は一人で仕事をしているものですから。

宮崎:私はアニメーターです。自分のことを工場長、職人の現場での親方だと思っています。経営者とは考えていません。

メ:本当に謎なので、面白いですね。宮崎の力と権威が目に見えないマジカルな形であらわれています。


セクション2:ハウルの動く城について

メ:記者会見で、ある日本人ジャーナリストが彼の最新作は日本で少し批判されていると言ったところ、鈴木さんの答は、宮崎さんはそれまで寄りかかっていたシステムをいつも壊したがる、何より彼の関心は一般の聴衆の満足にある、というものでした。つまり冒険と観客への配慮が混じってます。

宮:21世紀は困難な時代で今までの当然だと思われていた常識を検討しなおす必要があります。子供たち向けの作品にしてもエンタテイメントにしても今までがこうだったから、こういう悪役が出てきてこれやっつければいいんだというふうに簡単に作ってはいけないというふうに思っています。そんな中での一番大きな判断基準は自分が面白いか面白くないかです。面白くないからこれはやめた、やめたってやってくうちに自分のスタッフも「よく分からん」という作品になってしまって、私はとても困ってるんです(笑)

メ:確かに彼の最新作は舞台や登場人物の年齢が次々変るなどとても複雑です。ある意味不安になるのは、説明に要される時間が少ないということです。ええと、映画の中でたくさんのことが説明されないままだということです。

宮:60歳の少女のための映画なんです。

メ:素晴らしい。

宮:18歳の自分と60歳の自分は少しも違わないんじゃないか。90のおばあちゃんも18の時と変らないよと私は聞いた。60歳の少女が呪いを解いて18歳に戻るという映画は私にはどうにも納得できなかった。呪いを解くというのはどういうことか。若ければ素晴らしいのか。じゃあ何が素晴らしいのか。どうやったら主人公は幸せになれるのか。それを苦しみながら必死で探したら、こんな映画になったんです。

メ:的確ですね。

宮:ハウルが何をやっているのか描く時間は無かった。仕事のスタッフに聞いたら、自分の妻たちは自分が何をやってるか知らないし、関心も持とうともしていない。じゃあソフィーもハウルが何をしようとしているか、関心持たなくてもいいんだって、そう思ってこの映画を作ったんです。

メ:最初、ハウルは最初、本当に日本マンガの少女の原型のように見えます。大きな目、不思議なカーテンのように垂れたこんなふうな髪の毛。それがだんだん子供っぽくなり、最後にはヒーローっぽい、そしてすこし傲慢な、服装の特徴がまったく無くなって、素の若い男性になります。

宮:とても嬉しいですね(笑)


セクション3:アニメーターとしての仕事について

メ:よくできた脚本、シーン、音楽など、完璧な芸術を作るという映画づくりは、本当に絵を描く者にとって一番の贅沢への道なのです。

宮:うまくいくときは贅沢ですが、うまくいかないときは不幸ですね。

メ:自分の仕事の出来に疑問を感じたことはありますか?

宮:いつもそうです(笑)

メビウス:本当に? それはウソでしょ?

宮:スタッフが、この映画が分からないと言うと、床がなくなったような気分になります。

メビウス:たとえば「もののけ姫」、さらに「千尋」を観たとき、びっくりしました。このような脚本を受け入れるプロデューサーの存在というものを私は想像できない。

宮:彼は反対しませんから。時間に間に合うように作れとは言いますけど。

メビウス:なるほど。でも、ディズニーのために働くとなったら、彼もそんなやり方では行けなかったでしょうね。ナウシカのときですら。

宮:スタッフと討議して映画を作るのは不可能です。僕は「こういうふうにします」としかできません。
メビウス:その自信が宮崎の仕事を豊かにし、そんなにもユニークなものにしていると思いますよ。    
宮:「ハウル」ついては結論はまだ出ていないと思います。お客さんたちがどういう気持ちを受け止めたのか、僕は映画評論を全然読まない人間なので、何を言ってるかあまり関心がないんですが、観客がどういう気持ちを持ったのかは非常に関心がありますね。それはまだ答が出ていません。


セクション4:メビウスが宮崎について語る。

メ:質問があるのですが、というか当初から私を驚かせたのは、宮崎さんが彼の素晴らしい映画のほとんど全てにおいて、ヨーロッパやヨーロッパの神話からインスピレーションを得ているということです。紅の豚ではイタリア、魔女の宅急便やハウルでは一種理想的なドイツなど、ナウシカならフィンランドでしょうか。こうしたヨーロッパの描写は遠く、理想化され、好意的で、愛があるように私たちには思える。我々が日本を見る視点に似ているともいえます。しかし、トトロやもののけ姫や千と千尋といった映画では…故郷へ戻っており、これもまた感動的です。私はどちらも好きです。私はそれはこの星をまっすぐな状態に戻していると思います。(訳注:ちょっと意味がわかりません)

宮:もちろん自分の中にマイナスの部分や冷たい絶望的なことや悲観的なものはたくさん持っていますが、子供たちが見る映画にそれを盛り込もうとはあまり思っていません。むしろどうすれば明るい映画が作れるのか、自分が明るい気持ちになれるのか、それを一生懸命考えます。

メ:すばらしい(拍手)


セクション5:宮崎がメビウスについて語る

宮:メビウスさんの話をしたいんですけどね。

メ:ええ、質問があるのでしたらどうぞ。

宮:どこで絵を修行したんでしょう?どういう勉強をして身につけていったものなんですか?

メ:12〜3歳の頃、私は自分が世界で一番絵がうまいと思い上がっていました。その後はその思い込みに近づくために一生を費やしたというわけです。自分がとてもうまく絵が描けると思うときもあれば、自分はとても世間知らずで無知な絵描きだと感じる時もあります。

宮:やっぱり星があたったんですよ。流れ星が(星が頭に当たるジェスチャー)

メ:ええ

宮:そう思います。

メ:ええ、まさに流れ星です。でもそれが留まったんです!(笑)

宮:本当に僕らがどれほどメビウスさんの絵を見て驚いたか、ちょっと表現の仕方がわからないんですが、世界をこういう風に眺めることができるんだという、驚きでした。

メ:絵の技術よりも、そうした物の見方を磨こうと努力しています。

宮:世界に対する考えと技術というのは一体のものだと思います。

メ:私は技術に関しては偏執的ですが、同時に偉大な芸術家はみな世界の見方を磨いたと考えています。我々が芸術に対して驚くのはそのためです。文章家でも音楽家でも、今までそこにありながら誰も見ていなかったものを突然提示する。誰もこうした真実をみていなかったというようなことです。それはとても細かなディテールであることもあります。爪先や、髪がカールし始めた様子や、目を描くのにどれぐらいの情報を使うか、というようなことです。例えば、走っている(人を描く?)時どこで動きを止めるか。足は地面から数センチ離れている。それはこれまでなされたことがなかった。そういった小さなことです。

宮:ほんとに単純な線で描いたメビウスさんの人物像の向こうに空気があって、その人物の中にもいろんな思想を含めた孤独で誇り高い空間があるのです。それがメビウスの絵の最大の魅力だと僕は思ってます。

メ:どうもありがとう。

宮:僕は日本の漫画界の多く人間を代表してお礼を言わなければと思っています。

メ:(当惑して照れながら)私は日本の漫画から多くを学びました。