ミヤザキの素晴らしき世界に没頭
ル・モンド 2005年1月9日
1980年代、この日本人監督のセルアニメはカルトを生み出し、彼の国ばかりかフランスをも引き入れてしまった。この熱狂は監督の才能によるものであると同時にスタジオ・ジブリの戦略にもよるところが大きい。『動く城』は1月12日に劇場公開。
東京特派員
1980年代の日本に生まれた紛れも無いカルトが宮崎駿映画を取り囲んでいる。そしてここ数年で世界に広がり、それは特にフランスで顕著である。最新作『動く城』は1月12日に劇場公開となる。
宮崎は最初、テレビでフランスに入ってきている。アンテナ2で1970年代と80年代に放映されたテレビの「ハイジ」シリーズだ。劇場公開された最初の映画は1991年の『ポルコ・ロッソ(紅の豚)』で大して人目も引かずに終わった。事件と言えるだけのものがこの国土に現れたのがその8年後、『となりのトトロ』と『もののけ姫』の同時公開がきっかけだった。それ以来、『トトロ』の10本のプリントは回り続けている。ずっとフランスのどこかで上映され続けているのである。『もののけ』の方といえば、その長さ(2時間15分)とあの時期の監督の無名性にも関わらず70万人の観客動員を達成した。
『千尋の旅(千と千尋の神隠し)』は2003年にフランスで300本が配給され、事件は拡大した。150万人の観客を獲得したのである。
この詩情溢れるファンタスティックでマンガ表現と戯れて見せる美学とアニミズム思想が刻印されたこれらのセルアニメは大人と子どもを魅了する。一連の作品はグルーピーも引き起こした。2001年末には、この監督の回顧展のチケットを買おうとして、イメージ・フォーラムの入り口で10人くらいのファンが座って夜を明かしたのである。
宮崎とその同志高畑の製作会社であるスタジオジブリの作品を世界配給する上でディズニーの権威は彼らの成功に大きく寄与した。『もののけ姫』より、この国土に彼らの作品を送り出すのはディズニーの子会社ブエナ・ビスタ・フランスである。そして、ディズニーはアメリカと(韓国と日本を除く)アジアにも配給している。
「『もののけ姫』は1997年に日本で公開されました」と説明するのはブエナ・ビスタ・フランスのディレクターであるジャン=フランソワ・カミレリである。「それがフランスにやって来るまで1年半、準備をしました。映画を個別に扱うよりは、私は最初からこの監督について息長く取り組むことを望んでいたんです。」どうしてそんなに注目していたのだろう?この配給業者が答えるには、フランス観客は一般的にアニメーション映画、とりわけマンガや宮崎の世界を受容しやすいという。ジャン=フランソワ・カミレリは口コミで評判を広めてくれる最良の媒体としてファン達も組織した。「インターネットでの私たちのサイトを通じて彼らときちんとした関係を作り上げましたし、特別上映会に彼らを動員もしました。新産業技術センター(CNIT)で毎年開かれる日本展覧会サロンにも頻繁に参加しましたし、専門誌などにも出て行きました。」
映画を超えた取り組み
「千尋」で得た評判に勢いを得て、このフランス配給者は引き続いて宮崎の旧作を劇場公開した。『天空の城[ラピュタ]』(1986)や『小さな魔女キキ[魔女の宅急便]』(1989)は150万人の観客を引き付けた(訳注:この二つの映画の興行成績は合わせても100万人の筈です)。こんなリスクをおかしたのは韓国とフランスぐらいであるが、この賭けは成功した。アメリカ人達の方は、これらの旧作をビデオに封じ込めている。
日本の他ではフランスは宮崎展覧会を行った唯一の国でもある。パリ造幣局で宮崎の創作画がメビウスのデッサンと相対して展示されている。ここでイニシアティブを取っているのは『動く城』のプロモーション担当者や配給社達だ。
これは2001年にスタジオジブリが美術館を開くことで自ら飛び込んでいった「映画を超えた」新しい取り組みにも関係している。社長の鈴木敏夫によれば、この選択によって「新たなる社会責任」を引き受け、会社のために新しい世評を引き出したのである。日本で大成功した『もののけ姫』は、それまでの興行成績の日本記録だったスティーブン・スピルバーグの『E.T.』打ち破り、文字通り炸裂した。
それ以来、このスタジオは興行成績のチャンピオンである。日本で1800万人を集めた『千尋の旅』は『タイタニック』を抜き去った。そして『動く城』はもっと先を行く見込みがある。にも関わらず、スタジオ初作品『風の谷のナウシカ』(1985)以来、ジブリはその「貴族階級的」アプローチを止めようとはしない。
小さな家の立ち並ぶ東京郊外、羊歯の茂る森の中の二つの小さな建物に入っているスタジオの従業員(常勤100人、映画制作時には350人)たちがその創始者を熱烈に守っている。ディズニーと契約する以前、鈴木は多くの外国配給者を拒絶してきた。「アメリカ人は日本映画の中身を変えてしまうという評判があります。音楽を殺し、絵を修正し、要するに日本らしさを消し去るのです」
今や派生利益に至るまでジブリの厳格なコントロールに従わない者は無い。こうした理由で、ヨーロッパやアメリカで大当たりをとったかもしれないこれらの素晴らしい作品たちが日本と韓国にしか配給されなかったのである。(訳注:韓国にジブリ映画が全て配給されていたというのはルモンド紙の誤解で、日本映画が韓国で厳しく公開制限されていたことを知らなかったものと思われます。)
スタジオがある。そして美術館がある。ディズニーランドよりははるかに小さいが、より静かで、より洗練され、要するにより日本的だがそれでも類似機能、つまり娯楽と映画の宣伝を満たすことはできるのである。
バロックな美術館
宮崎によって設計されたこの建物は大東京西部、うっとりとする公園の中の並木道の曲がり角に姿を現す。雑多に彩られたバロックな形状を見せつけ、異様な建物に宮崎が示す情熱が現実世界を侵食しているかのようである。とはいうものの、コンクリート造りで、映画に出てくる空飛ぶ城ほどには夢想的ではないのだけれど。
訪問者には心地好い。開業以来、この美術館は予約チケットを買った人間を毎日最大2400人しか受け入れていない。内部には中央の大階段を廻る中二階に部屋が並んでおり、それぞれが一つずつの機能を分担している。つまり、娯楽、教育、マーケッティング、遊び、である。
一階では、アニメーションという方法に捧げられた小さな素晴らしい聖堂が魔術師メリエスの世界を想起させてくれる。プラスティックの人形がストロボ光に同期させた効果で、映画のシーンに出てくる登場人物として動き出すのである。(訳注:フランス人メリエスは魔術師であったと共に、トリック撮影などを多用した映画を監督・製作して活躍。劇映画の創生者とされている。代表作に『月世界旅行』など。)
上階では、宮崎の仕事机が再構築されており、持ち主の家具調度類、絵筆、様々な映画の粗筋を閉じこんだアルバム、その他が展示されている。臨時展示のスペースもあり、最近では『Mr.インクレラブルス』の公開にあわせて、この映画の世界と製作会社であるアメリカのピクサー(これもまたディズニーが映画を配給している)についての展示が行われていた。
売店の反対側では『となりのトトロ』の猫バスに想を得た巨大なぬいぐるみがが数十人の陽気な子ども達から絶え間なく攻略されている。ぶらぶらと歩いていると、外側に出て建物のキノコ型をしたコブを繋ぐ橋の上を行き、最後には映写室に行き着き、訪問者のためだけに作られた宮崎の未公開短編を観ることになる。他では観られない映画である。鈴木氏によれば、この監督はまだまだそうした映画を作る気でいるそうだ。
イサベル・ルニエ
スタジオジブリは手描きにこだわる
ジブリは日本とアメリカで猛威を振るっている3次元アニメーションの流行に屈していない。ジブリの共同創設者で社長の鈴木敏夫はこう保証する。「宮崎さんは絵を上手に描けますし、彼が生きている限り我々は彼のスタイルを守ります。戦略的にもこれは有効なんです。3Dアニメが流行ればそれだけ我々の作品は貴重なものになりますからね。」宮崎と高畑(『火垂の墓』『となりの山田くん』)の映画を作るために創設されたスタジオではあるが、最近では森田宏幸の初長編映画(『猫の王国[猫の恩返し]』)を製作している。彼も、例えば背景の深い層などで正確な作業を要する場所にはデジタル技術を使っている。その代わりに、最初は手で描いた絵に後から合成を行うのである。リアルなニュアンスを保つためにディジタル・パレットの可能性は制限しておいた上で、二つの異なる絵を調整して融合するである。
年譜
1963-1968. 1941年生まれの宮崎が東映動画入社。高畑勲に出会う。
1969. 「砂漠の人々」(マンガ)を執筆。
1971-1984.「ハイジ」のようなテレビシリーズに参加、独立して初監督した「未来少年コナン」
、初劇場長編作「カリオストロの城」。
1984. 「風の谷のナウシカ」を監督。
1985.
宮崎駿、鈴木敏夫、高畑勲でスタジオジブリ設立。
1986. 「天空の城ラピュタ」を監督。
1988. 「となりのトトロ」を監督
1989. 「小さな魔女キキ」(魔女の宅急便)を監督。
1992. 「ポルコロッソ」(紅の豚)を監督。
1994.
高畑監督「平成狸合戦ぽんぽこ」を企画。
1997. 「もののけ姫」を監督。
1998. 「虎(Le Tigre)」(マンガ)を執筆。
2001.
「千尋の旅(千と千尋の神隠し)」を監督。
2004. 「動く城」を監督。
『ハウルの動く城』 夢の不合理に飲まれるソフィーの有為転変
ルモンド 2005年1月12日
この宮崎駿のアニメーション映画は幻想と願望の中に現実を溶解させてしまう徹底的な企てである
セルアニメ 日本 宮崎駿(1時間59分)
宮崎駿の新作である『動く城』の2時間の上映は幸福な疲労感の中に置かれた。最初のシーンから、というか映画館に足を踏み入れる前から、この旅も『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』(1月9日付けル・モンド記事参照)でこのアニメーションの巨匠のヒロイン達がやってみせたような奇妙な冒険になるだろうということが分かる。
しかし、彼の新作の大胆な筋運び、決まり事に無頓着なやり方は、思いもつかないものである。こうした思考と想像力の奔放さと同時に様式にも忠実であるという点は際立っており、宮崎がアニメーション映画の超越者というより、まずアニメーション映画を定義する者であるということを示している。
『ハウルの動く城』はダイアナ・ウェイン・ジョーンズの本、『Hurleの城』(Hors
Collection 15.90ユーロ)に基づいている。冒頭では霧がかかった空から霧が晴れていき巨大な機械が現れる。城ほどに大きく、鶏の足で移動する金属製の魚みたいである。この機械は山の風景をバックに動いていき、羊飼いと羊の群れの目の前を通り過ぎていく。羊達は小さい白い粒々で、日本アニメのきちんとした背景画の中では頼りげない。城が通り過ぎるのを見て、羊飼いは手で何やら合図をする。こんな風にゲームのルールは示される;ここは、『千尋』で起こったのとは違っており、異世界との狭間ではなく、日常が魔法と共存しており(そしてその二つはあっという間に立場を入れ替えたりするのだが)、とても複雑な仕上げの絵(動く城)とかつてのテレビシリーズで使われた少々古臭い絵とが同じシーンの中に同居しているのである。
魔法使いと魔女
ともかくも話はとある外国の街に移る。思い浮かべてしまう表現は「安っぽい西洋」である。ビクトリア時代のイギリスとハプスブルグ王朝時代のオーストリアとベルエポック期のパリをごっちゃにした無知とお目出度さもここまで行くかと感じるかもしれない。しかし、これらすべては創作活動の愉しみから来ているのであり、それは背景画の些細なディティールに現れている(産地札や壁に貼られたポスターなどが同じ言語で書かれていないのを読み取ってみよう)。
この街を作り出したのは下らない融合というよりは、幻想と願望の中に現実を溶解させようという徹底した企てである。ヒロインのソフィーは最初、彼女が相続した帽子屋でぱっとしない生活を送っている若い女性である。街で偶然彼女はハウルに出会う。魔法使いで、動く城に住み、若くて美しい男で、彼女はすぐに恋に落ちる。しかし、この恋は荒地の魔女の嫉妬を招きソフィーに呪いがかけられる。90歳の女性の身体にされてしまうのだ。
彼女は戦禍の迫る街から逃れ、城に行き当たりそこに腰を落ち着ける。この城は野原をうろついているだけではなかった。複数の場所に通じており、それぞれに扉が開かれているのである。その世界ごとにハウルは名前を変えている。ソフィーの方は名前は同じままだが、魔法使いへの愛ゆえにはまりこんでしまった戦争と魂の物語が展開するたびに身体が老けたり若返ったりしてしまう。こんな風に変化しても、このキャラクターが一級のヒロインとして際立つために不都合がある訳でもない。
ソフィーの有為転変は叙事詩のエピソードのように、乗り越える試練として始まる。王宮の階段を登るだとか、動く城の大掃除だとか。しかしそうした瞬間は夢の不合理性によってひっくり返される。キャラクターが変化して背景が動いてしまう。いったん夢の法則に従ってしまうと、フィルムの流れは物語の論理性をもはや斟酌しなくなる。それは自由な組み合わせを保証するためであり、驚きを盛り上げ、気持ちの良い不安定さを永続させるためだ。
かくて、街が戦火に覆われるのを見た後、人は底無し井戸に落ちていくような恐怖と驚異にさらわれていくままとなる。
この破局のシーンの中で、宮崎は経験で磨かれた手練手管を使い、あたかも内省的な時間のようにして些細なことと重大なことをつなぎ合わせ、まったく普通の人物を奇妙に色付けする。ちょうど城の扉から通じている花畑のように。ここには、例えば宮崎自身がかつて参加した「ハイジ」の脚本のような甘ったるさを感じ取るが、しかし広大な野原で、背景の中の人物たちが紋切り型から幻影に変貌する。スクリーンの上で2時間、宮崎駿の夢は現実を幻影にしてしまうのだ。
(低信頼性翻訳:おーた)
『ハウルの動く城』フランス・マスコミ評抄訳
Byおーたさん(原文はAllocineにでています)
エル誌:
エリサベト・クアン ☆☆☆☆
魂のこもったアニメーションの日本人マジシャン宮崎は、最もクレージーな映画、狂乱の想像物を出してきた。たぶん長い年月をかけて熟成させたこの映画はほとんど哲学的であり、ヒロインと観客とを文字通り宙に浮かせる夢のようなシーンで感嘆するしかない。
テレシネオブス誌:
エロディ・ルパージュ ☆☆☆☆
物語の約束事をないがしろにして、日本アニメーションのこの大家は最も奔放で、並外れて、バロックな映画を送り出した。そして一度ならずまたしても、このジャンルが子供の占有物でないことを証明して見せたのである。
ル・ポワン誌:
フランソワ=ギヨーム・ロラン ☆☆☆☆
63歳で宮崎は膨れ上がる想像力を制御する術を学んだ。そして冷たいテクノロジ全盛のマンガの時代にあって、夢を見るためにはちっぽけな詩情と使い古された知恵では何の役にも立たないことを示したのである。
フリュクチュア.ネット:
ジェローム・ディットマ ☆☆☆☆
『動く城』は宮崎駿のとても複雑ではあるが、とても澄み切った作品でもある。個々人の中に(そして風貌に)抱かれた様々なリアリティの層を測りながら、率直に言って、[アラン・]レネの最も観念的な『去年マリエンバードで』(1960)、『プロビデンス』(1977)といった作品のレベルに達しており、しかも感動を失っていない。
ウエスト・フランス誌: 編集部
☆☆☆☆
この日本の大家は、彼にとって大事で親しいテーマを渡り歩き、視覚的創造物の感覚を辿る、奔放な流れをここに出してくる。彼の線の自由さと情景の組み立て方はボッシュやアルチンボルドの狂気を抗いようもなく感じさせる。
テレラマ誌: セシーユ・ミュリ ☆☆☆☆
流れるごとく、とんでもない発見に満ち溢れ、レトロな機械趣味と田舎の清明さの二つを持ち、絵はいつものように物語と同じレベルに達している。追従を許さない宮崎のスタイルに従い、イマジネーションは線の上に溢れ出し、マンガの規範をうまく利用し、拡大して戯れてみせる。
リベラシオン紙: ディディエ・ぺロン ☆☆☆☆
宮崎のキャリアは30年を超え、彼は並外れた仕事量で知られている。その情熱は、この新作のような可燃性の喜びと不可分である。そこにはこの大家がこっそり参照しているものが息づいているが、それはこの先も明かされることはないだろう。同時に、彼の過去の作品からのたくさんの要素が再登場している。
(...)壮観だ。
ル・モンド紙: トマス・ソティネル ☆☆☆☆
宮崎駿の新作である『動く城』の2時間の上映は幸福な疲労感の中に置かれた。
(...)彼の新作の大胆な筋運び、決まり事に無頓着なやり方は、思いもつかないものである。こうした思考と想像力の奔放さと同時に様式にも忠実であるという点は際立っており、宮崎がアニメーション映画の超越者というより、まずアニメーション映画を定義する者であるということを示している。
ポジティフ誌: カトリーヌ・アクセルラッド ☆☆☆☆
この監督が些細なディティールを10倍にも拡大してみせるその創意は置いておくとして、子供の世界につきものの少し甘ったるいパステルカラーとはこの映画は無縁である。
レ・ザンロクプティブル誌: パトリス・ブルーイン ☆☆☆☆
図象の豊かさもあるが、今回の場合「動く城」がより深いところに引き込むのは、驚異的な不安定さに拠るところが大きい。落ち着いて見ると、「動く城」は彼の芸術の頂点に立つ創造主の内省作品に他ならないようである。現実の騒々しさに囚われてこの映画は暗さと複雑さを増やす何かが確実に不足している。諸々のエピソードは物語の筋に沿っている。
カイエ・ドゥ・シネマ誌: ヴァンサン・マローサ ☆☆☆☆
この映画人がこんなにも登場人物の不安定さを推し進めたことは無かった。それは、物語の結び目ともいうべき映画の最後の拠り所みたいなものも粉々に粉砕してしまったのである。心は奪われ宮崎の驚異に晒される。世界と切り結ぼうとするピュアな感情、ポケットの中から取り出される鍵、そして今まで見たこともない喜びを見出すだろう。
ローリングストーン誌: クリストフ・シャドフォード ☆☆☆☆
網膜は常に目覚め続け、魔法に飢えた子供のように全てが可能になるこのファンタジー冒険に追従する。運命は投げられた。宮崎は我々を確実に魅了した。
スコル誌: G.D.ジョン ☆☆☆☆
眩い。このアニメの魔法使いがテンポをここまで暴走させたことは無く、物語の構想と筋を狂気のスピードで広げて行く。(...) 優雅さと美しさとイマジネーションの純粋さはいつものように確固たるものだ。豊かなバロック趣味にかくも遠く突っ走り、宮崎は偉大なる魔術師であり続けている。
マッド・ムービー誌: ジュリアン・デュピュイ ☆☆☆☆
この映画の重要性を量るには、過激に宣告してしまうのがよいのかもしれない。今まで私達が知っているままの驚異的な流儀である。この妄想的傑作からあえて身を起こすことも無いだろう。
ル・フィガロスコープ誌: マリー=ノエル・トランシャン ☆☆☆
英国人ダイアナ・ウェイン・ジョーンズの小説に基づくこの魔法使いの挿話集で、宮崎の驚異的な視覚想像力の全てが見られる。(...) 平和をもたらす愛の力の上で展開する愉しい寓話としての独創的幻影の中で、若さと老い、醜さと美しさが逆さまになる(...)。
ル・フィガロ紙: マリー=ノエル・トランシャン ☆☆☆
魔法世界と権力と紛争の世界、そして相対する魔術と絶えることの無い変身で見通しが悪い動乱を最後には平和と調和の精神が安定化する。そんな楽しい寓話。
シネアスト誌: サラ・リー ☆☆☆
この映画監督の中心テーマであるが、愛の場面が自然と一体化することで稀な強さで叙情を盛り上げていく。風景画の信じられないぐらいの美しさによって昇華された自然を見せながら観想的な筋立てが増大している。
リュマニテ紙: ミシェル・ムリナール ☆☆☆
このエコロジーと非戦の寓話は間違いなくその純朴さが欠点になっている。それでもなお、心の奥深くに響いてくるアクセントがある。
エム・シネマ.コム: ジャン・クリストフ・デリアン ☆☆☆
すべてが完璧なのだが、しばしば宮崎映画のただ一つの欠点となるのが台本の混乱と無駄な複雑さである。二元論を追い求めるあまり、このスタジオジブリの巨匠はしばしば我々を迷わせてしまう。ちょうど「もののけ姫」のときのように。だからといって我々の愉しみに不平を言うのは止めよう。この長編アニメーションはやはり宮崎の成功作である。コミカルで詩情に溢れとても感動的な珠玉である。
レクスプレス誌: エリック・リビオ ☆☆☆
あらゆる階層に夢を運ぶ宮崎の冒険は、この想像の世界の中心に観客を沈めこんでしまう驚異であり、それは哲学者ガストン・バシュラールが言うところの全ての個々人の思想の中に前もって備わっている世界でもある。
訳注
ガストン・バシュラール:フランスの科学哲学者、詩学者。著書に『科学的精神の形成』『水と夢』『適応合理主義』『空間の詩学』など。
シネ・リブ誌: エマニュエル・シロッド ☆☆☆
複雑で長い作品は途方に暮れもするが、それが含み持っているビジュアルな壮麗さが雪崩をうって押し寄せるのをとどめてもいる。花火だ。
パリ・マッチ誌: クリスティーヌ・アース ☆☆
またしても宮崎は私たちの眼を満たし、夢を満たしてくれる。彼の創意、筆遣いの豊かさ、色の美しさ、すべてに感嘆してしまう。残念なことにストーリーは観客を少しばかり息切れさせてしまう。(...)
それにしてもどうしてこ
の日本の偉大な作家は100%アジア的な登場人物たちをヨーロッパっぽくさせることに拘るのだろうか?
ジュルバン誌: エリック・ケメル ☆☆
この「動く城」は「千尋の旅」で全開されていた魔術幻灯の世界をさらに深く掘り下げている。しかしながら数え切れない変転でシナリオを何度も見失うほどであり、彼の途方も無い公準をほんの少ししか活用できていない。
アヴォワール−アリール.コム: ロマン・ル・ヴェルン ☆☆
ぶっちゃけた話、「動く城」はあの素晴らしい成層圏におよぶ「天空の城[ラピュタ]」の水準には達していない。それでも、この美しい構築はまたもや私達を刺激してくれる。技術的なショットや粗筋に満足するだけならば、十分な密度と知性と面白さと感動がある。
クロニカール.コム: ジュリアン・バスティド ☆☆
ビジュアルで純粋な魔法の時間もあるのだが、これは疑いもなくマイナーな宮崎である。それでも大衆向けアーティストとしてのステータスを確立させるだろうが、「もののけ姫」の絶頂からは容赦なく退廃した作品であるという深刻な問題が残る。
プルミエール誌: ジェラール・ドゥローム ☆☆
ジェットコースター効果の即時的な刺激が過ぎ去った後、この「動く城」はよく言って当惑、悪く言えば失望を残していく。
ストゥディオ・マガザン誌: パトリック・ファーブル ☆☆
初めて、宮崎駿が分裂していく。一部の観客は日本アニメーションの巨匠の新作に面食らうかもしれない。映像やシーンの構成は確かにファンタスティックなのだが、物語が支離滅裂のようである。
Allocineでは、観客による批評も読めます。2005年2月6日現在、4つ星が166、3つ星が55、2つ星が28、1つ星が11、星なしが4つ、となっています。参考までに、おーたさんに4つ星と星なしの評価のものを一つずつ選んで訳していただきました。
☆☆☆☆
美しい。コントロールされている。生き生きとしている。知的だ。魔法にあふれている。
あなたの頭の中を絶えず去来する音楽的な雰囲気に満ちている。大事な選択を行う勇気ある人物が出てくる。巨大なおしゃぶりを目の前にした子供のような満足を与えてくれる。筆舌しがたいのが実際のところだ。
星なし
この映画は散々たるものだ。映像は他の宮崎作品と同様に正確、登場人物は深みに欠けている。ストーリーが混乱しているとは言わない、なぜならそんなものが存在していないからだ!
フランスのアニメ雑誌、Animelandのサイトでは宮崎監督とフランスのアーティスト、メビウスの対談の様子が動画で見られます。対談の翻訳は、「宮崎とメビウス」ページをご覧ください。
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