トトロともののけ関連フランス語記事集
「となりのトトロ」が12月8日に公開され、またPrincess Mononokeが1月12日に公開されたのに合わせて、フランスの雑誌、新聞等で関連した記事が出ています。以下はその一部です。
1月13日付Le Figaro紙は宮崎監督ともののけ姫に関する記事を掲載しました。
- 1月12日付Liberation紙はもののけ姫に関する記事と宮崎監督のインタビューを掲載しました。
- 批評誌Telerama1月12日号はもののけ姫に関する好意的な批評を掲載しました。
- 映画誌Premiereはもののけ姫に最高4つ星中3つ星を与え、もののけ姫を「今月の映画」に選出しました。
また宮崎監督のインタビューも掲載しました。
- 映画誌Le nouveau cinemaはもののけ姫に最高点の3つ星を与えました。
- 映画誌Postifは2ページにわたるもののけ姫とトトロに関する記事、4ページにわたる日本のアニメに関する記事を掲載しました。
- 映画誌Cine Liveはもののけ姫に最高点の4つ星を与え、宮崎監督に関する1ページの批評を掲載しました。
彼の語り口から見える知性を越えて、『もののけ姫』は宮崎の最高に美しくてはっきりとした成功作である。絵は高い品質を持っていて、(…)確かな素朴さを完璧で繊細な動きに結びつけている。
「クロニカール誌」マリウ・メウ、1月10日、2000年
魔物と驚異に満ちた中世日本を見渡す、とても高度な水準にあるアニメーション映画。
「シネリブ誌」マルク・トゥレ、1月1日、2000年
ファンタジーの侵入も、乱闘も、それらしく見せてしまう驚異的なアニメーション技術に支えられている。そしてこの映画は、歴史を単純化した善悪二元論には、まったく関与しない。善人も悪人も居ず、ただそれぞれの陣営があるだけだ
「Cplanet」ジャン=クリストフ・デリアン、1月12日、2000年
丸ごと作り上げられた世界のひとつひとつの、華麗なイメージは驚くべきものだ。しかし、無根拠なものは何一つ無いし、今までにあったどんな探求でも、こうしたものに辿りついたものは無かった。この意味と象徴性は常に形態に勝っている。
「フルクチュア・ネ誌」M.メルレ、1月12日、2000年
(…)あざやかなアニメの叙事絵巻(…)。宮崎駿は歴史的な典拠と、祖先からの伝説と、イニシエーションの物語と、エコロジカルなメッセージを混ぜ合わせる術を持っている。
「ル・フィガロ・スコープ誌」エマニュエル・フロワ、1月12日、2000年
(…)本物のビジュアルな衝撃であり、物語と伝承の織りなす世界を横切る通過儀礼の旅である。
「ル・ヌーボ・シネマ誌」ジャン=フィリップ・ゲラン・、1月1日、2000年
アニメーション映画の領域では、このたぐいまれな美しい絵は本物の事件と言ってよい。この監督は歴史を突き抜けて伝説の次元に潜り込んでいる。
「ル・パリジャン誌」エリック・ルゲベ、1月12日、2000年
豪華でうっとりとするビジュアルな着想に彩られて、(…)この映画は本当に驚くべきものだ。たとえ、アニメがそんなに好きという訳でなくても魅惑されてしまう。
「レ・ゼコー誌」アニー・コペルマン、1月12日、2000年
(…)マンガと黒澤の世界との実り豊かな交差。子供たちを育成するに違いない心打つ傑作。
「レヴェヌマン・ドゥ・ジュディ誌」イサベル・ダネル、1月13日、2000年
『もののけ姫』のおごそかな力は、そのゆったりとした筆遣いと色彩の衝撃だけでなく、テーマの豊かさによるものだ。無垢さの喪失、環境の尊重、文明の争い(…)
「レクスプレス誌」エリック・リビオ、1月13日、2000年
素晴らしいエコロジカルな寓話であるだけでなく、映像的な豊かさが持続するこの作品は複雑で豊穣な想像世界を物語り、要塞化された村の細かな生活の様子まで贅沢に描くのである。
「リューマニテ誌」ヴィンサン・オストリア、1月12日、2000年
日本アニメーションの傑作、『もののけ姫』は目が眩むような映像的独創による物語である。
「リベラシオン」ディディエ・ペロン、1月12日、2000年
『もののけ姫』は(…)全速力で展開する冒険物語の充足感に満ちた一撃であると同時に、物語が進んでいく予想もつかない方向へ刺激的に問いかけるという奇跡を成し遂げている。
「ル・モンド」ジャン=ミッシェル・フロドン、1月11日、2000年
宮崎のイメージはとても力強く、彼の全ての感覚はアニメーションの理想に捧げられている。美しく、魔術的である。そして同時に謙譲のレッスンでもある。
「プルミエール」ゲラール・ドゥローム、1月1日、2000年
この暗さと詩情、危険と豊饒の組み合わせが『もののけ姫』の魅力となっている。そして、これこそが宮崎の才能であり、彼はそれぞれのショットで、ほとんど苦悶のような驚異を生み出すことが出来るのである。
「ストゥディオ」パトリック・ファーブル、1月1日、2000年
この演出には驚嘆してしまう。視覚的な独創は荒削りな詩情を生み出している。『もののけ姫』は情熱的で魅惑的だ。アニメーション映画の世界的な復活は確実なものとなった。
「テレラマ」ベルナール・ゲニン、1月12日、2000年
(低信頼翻訳:おーた)(記事の内容はおーたさんに訳して頂きました。おーたさんは「訳の正確さを保証しません」ということですが、ありがとうございました。)
- 1月12日付Le Monde紙はもののけ姫に関する記事を掲載しました。「この映画の「主役」は「人間と自然の関わりとは何か?」という疑問である。アニメーション映画には見られないような複雑さを持ってこの疑問が投げかけられている」「ハイパーリアリスティクな表現を目指す代わりに、この映画に活力とスタイルを与えているのは、宮崎のアクションに対するフォーマルなセンスである。それは時によって、速さによってもたらされたり、たくさんの自然現象によってもたらされたり、シーンの構成とライティングによってもたらされたりするが、常に映像と音楽が一体となっていることによってもたらされる。久石譲の音楽は飛びぬけて効果的である」「したがって、この映画の素晴らしさは、アニメーションの一部のディテールよりも、映画としての全体の手法にある。そしてそのことは、この映画がディズニー(そして最近ではそのライバルであるドリームワークス)の決まったパターンとは違うアニメーション映画として、いかに特異な成功であるかを示している」としています。
(Le Mondeの批評はBrian Carpenterが英語に訳してくれたものを更に日本語に訳しました。したがって正確さは保証できません)
- 映画誌Les cahier du cinemaはもののけ姫とトトロに関する2ページにわたる批評を掲載しました。
- エンターテイメント情報サイトCplanetは久石氏のインタビューを掲載しました。
久石譲
『となりのトトロ』の作曲家
カルト・ミュージシャン
北野武と宮崎駿のお守りである久石譲はこの20年で日本音楽界で無視できない人物となっている。そしてここ数年来、国際的な評価も得た。控えめでにこやかなこの人物はロンドンに居て、12月8日の『となりのトトロ』と1月12日の『もののけ姫』の公開を機会にパリに一時滞在している。このふたつの宮崎映画のために彼は素晴らしいオリジナル音楽を作曲しているのである。めくるめく、そしてシンプルで、何かを呼び起こすようなメロディーの背後に隠れているのは誰なのか知りたいと我々は思った。
Cplanet:
日本で10年前に公開されてから『トトロ』の周囲に出来上がった熱心なファンをどう思いますか?
久石譲:
とてもうれしいですね。日本の子供たちはとても小さいころからトトロを発見して、街角でオープニングタイトルの歌をよく歌っています。私はそんな子供たちの好奇心を呼び起こす映画作品をやってみたいと熱望していました…
Cplanet:
あなたは昨年、『天空の城』(宮崎の別作品である『ラピュタ』のこと)の国際公開用に音楽を付け直しました。これが宮崎さんとの最後のプロジェクトになると思われますか?というのは、宮崎さんは『もののけ姫』が最後の映画になると宣言しましたから。
久石譲:
『ラピュタ』の仕事は昨年5月に終わりました。映画全体に音楽が付き(編集部注:ディズニーの要望によるもの)、今では音楽の存在感が強まっています。宮崎さんはもう次の作品のことを考えていると思いますよ。短編のストーリーボードは描き終わってます。日本に戻ったら、私はその音楽の試作にかかります。『もののけ姫』の頃、宮崎さんは少し欝っぽかったんですが、それが根っからのクリエーターというものですし、本当に辞めるところだったという訳でもないんです。
Cplanet:
欧米の監督から作品に曲を作ってくれという申し込みを受けたことはありますか?
久石譲:
しっかりした提案としては、実質2つ受けています。ひとつはフランスの若手監督からで、もうひとつはアメリカの監督からです。しかし、お話するにはちょっと時期が早くて…
Cplanet:
ある監督と組むかどうかの決め手は何ですか?監督の人柄ですか?世界観ですか?
久石譲:
私が決める上で最も重要なのは台本です。創られるようとしている世界を想像し、そこで私に何か出来ることがあるのか考えてみるのです。そうしてから、監督と理解し合えるかどうかを見るために、会ってみます。
Cplanet:
あなたの音楽は、特に北野映画の場合、物語に必要不可欠です。あなたにとって、映画音楽の役割とはどのようなものなのでしょうか?
(長い沈黙)
久石譲:
音楽は感動を伝えるのを手助けすることが出来ると思いますが、映像にくっつきすぎてはならないし、説明的な役割を担ってもいけません。アクションよりも感情や情動を表現するべきものです。たとえば、戦いのシーンには大仰な音楽をつけるであろうジョン・ウィリアムスとは反対に、『もののけ』での私は手に負えなくなった戦争の中に置かれた人々の感情を映し出すような音楽をつけることを好みました。
Cplanet:
あなたのそれぞれの作業に対して宮崎さんからは細かい要求があるんですか?それとも自由にやらせてくれるんですか?
久石譲:
彼はまず私に自由に作曲させてくれて、それから二人で議論します。彼はとても細かくて、注文が多い人です。普通、私は相手と共有できるものをかなり早く見つけるのですが、彼とは具体的なことについてのみしか喋りません。
Cplanet:
北野武の『キッズリターン』におけるディープ・フォレストだとか、フィリップ・グラスのような、明白で確実な影響にも関わらず、あなたの音楽は典型的に日本的だと考えておられますか?
久石譲:
私は自分のことをとても日本的だと思っています。しかし、音楽家としては、世界の中で仕事をする者として、私は自分のことを国際的だと思っています。
Cplanet:
現在アメリカに向かっている北野武の映画での仕事は始まりつつあるんですか?
久石譲:
(大きく微笑んで)はい。私は彼に、あるいは彼の世界にたいへん近いと自分では思っています。彼は物事のシンボライズに向かおうとし、その仕上図をきちんと持っています。私の音楽探究も同じです。彼が私との仕事を望むならば、一緒に仕事をさせてもらえることを私は光栄に思うことでしょう。
Cplanet:
フランス人はあなたのことを、あなたの映画音楽で知るようになりました。あなたのソロアルバムについても、お話いただけますか?
久石譲:
私の名前で15枚のレコードを出しています。(編集部注:たぶん輸入可能。)私は元来ピアニストで、よくオーケストラや弦楽器と共演します。
Cplanet:
将来、ヨーロッパでのコンサートを期待できますか?
久石譲:
たぶん、イタリアで来年…
今年はバラネスク・カルテット(編集部注:Spiritualized, Pet Shop Boysなどと共演したクラシックの四重奏団)と一緒に日本でツアーしたんです。大成功でした。よりクラシックな私の音楽をミックスした前衛音楽を演奏したんです。スタジオ録音したアルバムは2000年の春に出ます。来年かさ来年には「ジョー・アンサンブル」が間違いなくヨーロッパツアーをします。ミシェル・ニーマン・バンドのように、ロックやクラシックから抜粋して演奏します。
ジャン=クリストフ・デリアンとジャン=リュック・ブリュネとの談話から(記事の内容はおーたさんに訳して頂きました。おーたさんは「訳の正確さを保証しません」ということですが、ありがとうございました。)
- フランスのアニメ雑誌Animelandはもののけ姫とジブリに関する130ページにわたる特集号を発行しました。鈴木プロデューサー、宮崎監督、安藤雅司氏、スティーブン・アルパート氏、David Encinas氏(ジブリで働いていたフランス人アニメーター)、久石譲氏、大塚康生氏、Jean-Marc Pannetier (紅の豚ともののけ姫のフランス語吹き替え版の録音監督)のインタビュー、人物紹介、過去の作品紹介などが掲載されています。
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- 映画誌L'ecran fantastiqueはもののけ姫の批評と、4ページにわたるもののけに関する記事、3ページにわたる宮崎監督に関する記事、3ページにわたる宮崎監督のインタビューを掲載しました。
- 映画誌Studioはもののけ姫に最高点の3つ星を与え、宮崎監督と久石氏のインタビューを含む2ページにわたる記事を掲載しました。評論家達による採点では、最高4つ星中一人が4つ、二人が3つ、一人が2つの星を与えました。(ちなみにターザンの場合、3つ星が二人、2つ星が二人でした。)
(画像はAndrew Osmondから頂きました。 Thanks, Andrew!)
フランスのメディア会社、Canal+のもののけ姫のページには様々な雑誌に掲載された批評の一部が紹介されています。
宮崎駿は中世日本の伝承の奥深いところに素材を求め、それぞれに掘り下げられた物語を巧みに組織してファンタスチックな物語を作り上げる。(…) 形式的に見れば宮崎の第七番目の長編は壮麗であり、伝承の奥深いところで日本の美を汲み出している。(…) 『もののけ姫』はいわば祖父伝来の浮世絵と現代マンガをつなぐ、失われた鎖である。時代の奥底から浮かび出たこのヒロイック・ファンタジーは本物のビジュアルな衝撃であると同時に物語と伝承の世界が織りなす迷路を横断する通過儀礼の旅なのである。
(ル・ヌーボ・シネマ誌、2000年1月、ジャン=フィリップ・グェラン)
『もののけ姫』には異句通りもの観方がある。狂おしいテンポで展開する妖精冒険映画として、あるいは自然の力と進歩の力との闘争を描いた時間を超えたエコロジカルな寓話として観ることもできるし、あるいは戦争の害、心の中に生じた憎しみと体に残るアザ、などに重ね合わせることで映画がよく見えてくることもある。さらに言うなら、この映像作家はそうしたものに直面した子供だったのだ。これらの暗さと詩情、危険と豊饒の結合が『もののけ姫』の魅力となっている。これは宮崎の才能であり、それぞれの場面で立ち現れる苦悶のような驚異を産みだすのである。そして久石譲の優れた音楽で脈づき、偉大な語り手のみが想像できるこのファンタスチックな物語の流れに運ばれるままになるのである。
(ストゥディオ・マガザン誌、2000年1月、パトリック・ファーブル)
宮崎は複雑な、そして一徹な力技でハードな物語を語っている。ジョン・ボアマン(『エクスカリバー』や『La Foret d'emeraude』)に見られるような失われた楽園へのノスタルジーは、宮崎には無い。宮崎の環境問題への関わり方はとても教育的である。つまり彼が誘う時空間では、様々なイメージが生み出され、それらは神話化されつつも説得力のある過去の生活の記憶のように機能し、その中では自然の均衡もまた違ったものになっているのだ。
(プルミエール誌、2000年1月、ジェラルド・ドゥロルム)
すべてが見通せる網羅的な世界図という疑わしき夢を抱く代わりに、宮崎は真の演出家として空間の再構築に力を注ぐ。最高だ。主人公が全てに出会うことができるこのフィルムの中で、そして何よりも不安定な自然での寄せ集めの生物たちにおいては、「他性」の問題が中心をなす。(訳注:「他性」は「自己同一性」の反対概念である哲学用語だそうです。)自分以外の存在も自分と同じだけの価値をもっているという考えを恐れたとしても、自己同一性がまばたくことで、無価値なものは無くなるのである。TVゲームへの明確な接近が見られるが、模倣というよりはテクノロジーと物語の一致、あるいは実り多い相互交換の結果である。そして何よりも、発見するべき、未知で、前代未聞の世界が繋がっていることに興奮してしまう。
(カイエ・ド・シネマ誌、2000年1月、エルウォン・ヒギナン)
(訳注:何を書いてるんだか、さっぱり解からないまま訳しました、というより訳せませんでした。ここに限らず、もっとまともに訳せる人の登場を熟望します。)
叙事物語の魔術、『もののけ姫』を受け入れよう。なんという手品の業を、この歴史物語は見せてくれるのだろうか!このアニメーション映画から噴き出た花火は、「骨肉の」映画の正統的な視覚効果を照らし出すのである。(...)黒澤の偉業に匹敵する筋立ては生き生きとしている。柵で囲まれた要塞と西部劇っぽくない侵略者の間の騒々しくて、暴力的で、楽しい、闘争だろうか?多義的なメロドラマの「ハッピーエンド」だろうか?「乱雑な」登場人物達のシルエットやスケッチにあふれ、人間っぽい動物たちの声はきちんと聞こえるのに対して(マンガの「吹き出し」の影響だろうか?)その他大勢の対話はかいま聞こえるだけで、編集と焦点深度は切り替わりながら動きの素早さと凝視に耐える完全さを見せて行く、そんな複雑なパノラマは同時にユーモアに彩られている。
(ポジティフ誌、2000年1月、エイタン・オネーユ)
宮崎駿は素晴らしい想像力と事実上未開拓の自然の姿で、彼の話を堂々と展開する。そこに住みついた生き物達、シシ神から半透明の身体の穏やかな精霊たちの姿も素晴らしい。絵は、とにかく例外的に美しく、詩的で、叙情的だ…そして本当にぎょっとするのは、善の最後の表現から悪の絶対的なシンボルへの変貌によって、この映画監督が終末の懸念を宣言することである。この刺激的で伝説の大絵巻の悠々たる時間の中には、あらゆる普遍的な神話が集まっている。絶妙である。
(シネリブ誌、2000年1月、マーク・トゥーレ)(記事の内容はおーたさんに訳して頂きました。おーたさんは「訳の正確さを保証しません」ということですが、ありがとうございました。)
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