Princess
Mononoke を観て
−個人的感想−
以下はもののけ姫の英語吹き替え版の私の感想です。
最初にお断りしておきますが、Princess Mononokeは私がこれまで見た中で最も出来の良い吹き替え版です。翻訳も声優陣の演技も素晴らしいもので、大変自然に仕上がっています。以下で私が述べる事はほとんどが重箱の隅です。
また、これはあくまでも私の個人的な感想です。特に声優陣の演技については人によって大きく意見が異なります。(たとえば、ビリー・ボブ・ソーントンの演技については、これまでに出た批評でも意見が真っ二つです。)私が気に入らなかった演技も、他の人が見ればまた違う感想を持つかもしれません。
私はPrincess Mononokeを一度しか観ていません。私の英語能力も記憶力も完璧とは程遠いので、吹き替え版のせりふについてはかなり記憶が怪しいです。ここで再現した英語のせりふは多分実際とは異なっていると思います。
1.キャラクターの名前
キャラクターの名前はほぼ日本語版の通りです。
アシタカヒコはPrince Ashitaka。たかが(といっては失礼なのか)村一つを治める立場ででPrinceとはちょっと大袈裟な気もします。ヒイ様が「アシタカヒコや」と呼びかけるシーンでは「My Prince」となっています。なんかヒイ様がアシタカのお嫁さん(爆)か臣下のようにも聞こえてしまって、ちょっと変な気もしますが、他にいい訳があるわけでもなく、これはこれでいいのかもしれません。
ヒイ様はWisewoman。ネイティブアメリカンなどの部族の呪術師/魔法使いのことをWisemanというので、その女性版ですね。ヒイ様の村での立場を良く表していると思います。しかし、ヒイ様に向かってみんなが「Wisewoman」と呼びかけるのにはちょっと違和感を覚えてしまいました。これはWisewomanをおもわず「賢い女」と直訳してしまう日本人の感性のほうに問題があるのであって、米国人には違和感がないのかもしれません。
ディダラボッチはNight Walker。「夜歩くもの」ということで、ディダラボッチの性質を表すなかなか詩的な名前だと思います。シシ神はThe Great Spirit of Forest (もしくは単にForest Spirit)で、森の守り神なのだから、 こういう名前になったのでしょう。でもForest Spiritというと、むしろコダマの方に当てはまるのではないのかなあ。 コダマはそのままKodamaでした。乙事主はOkkotoとなっていました。Okkotonushiだとさすがに米国人には発音しにくいし、覚える事もできないのではないでしょうか。
タタラ場はIron Town。なにか「そのまんま」という感じですね。しかしエボシの一党はTatara Clan (Clanとは一族、一門という意味)と呼ばれているので、なんとなくタタラの人々が血縁で結ばれた集団のようにも思えてしまいます。石火矢衆はRiflemenでこれもそのまんまですね。石火矢がライフル(石火矢そのものは単にGunと呼ばれています)というのもちょっと違う気もするのですが、他にいい訳も思い付きません。
タタリ神はDamon。後で詳しく述べますが、タタリ神をDamonとし神をGodとして、二つを違うものとしてしまう吹き替え版にはちょっと違和感を感じました。日本の「荒ぶる神」という考え方では人間に害を及ぼすものも人間を助けてくれるものも共に「神」である事に違いはないので、タタリ神という存在もこの延長にあると思うのですが。やはり西洋的な神(唯一神)と悪魔という二元論をもとにした文明にはこうした考え方はなかなか理解しにくいのでしょうか?
ジコ坊はなぜかJigoとなっていました。ミラマックスからのプレスリリースなどでもJigoなので、単なる間違いではないようですが、理由は分かりません。(まさか最初に脚本を翻訳した人間がジコをジゴと間違えて読んでしまったから、なんてことではないでしょうね。)
一つだけとても気になった事があります。エミシの村の長老、ジイジはなぜか「ジイサン」となっています。ジイジはアシタカの守り役でもあり、私はこの「ジイジ」という言葉の持つ子供っぽいというか、濃い血で結ばれた一族の間の親しいつながりを示唆する雰囲気が大変好きだったのですが(つまり、アシタカも村にいる間は「子供」であり、つい最近までは守られる存在であった、ということで)、「ジイサン」では与える印象が全然違ってしまいます。
ほとんどの米国人にとってはジイジもジイサンもどちらも意味のない言葉なので、ジイジのままでも良かったと思いますし、もし変えなければならなかったとしたら、全然別の言葉にすれば良かったのではと思います。一体全体なぜ「ジイサン」にしなければならなかったのでしょう? アシタカがジイジに向かって「ジイサン」と呼びかけるシーンは日本人の私には思いっきり違和感がありました。
また、病者の長はそのままOsaと呼ばれていました。最初の翻訳でそのままOsaとされていて、Gaimanにはそれが名前でない事がわからなかったからなのか、それとも良い翻訳がなかったからなのか。まあ、あまり重要ではない点だとは思いますが、寝たきりの病者を長と仰ぐ病者達の社会のニュアンスが伝わらなかったのは残念な気もします。
(以下続く)
2.翻訳
3.声優の演技